カシコレラ

高校教員を早期退職。「人生は実験だ」を合言葉に妻と信州に移住。 農・DIY・お金稼ぎの経験皆無の凡人が自給的暮らしを探求中。気ままにあれやこれや投稿。ひととひと、農と環境と教育をつなぐ「虹色ラボ」、真に持続可能な暮らしと生き方研究所「いっさ」主宰。

トラウマ、PTSD、生きづらさから解放されるためのセルフケア・後編

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 私がポリヴェーガル理論に希望を見出すのは次の2点である。

① AさんにトラウマやPTSD(以下、トラウマ等)が生じたのは、Aさんが異常なのではなく、Aさんの神経系や身体が正常に機能した結果であると説明している。

 → トラウマ等の肯定的側面に気づき、自分を褒めてあげる(自己肯定する)ことができる。

② ”指揮者”や”社会交流”の役割を果たす第3の自律神経が機能するような刺激を少しずつでも与えていけば、Aさんはトラウマ等の状況や生きづらさから解放されると説明している。

 → 適切な対処によりトラウマ等の状況から解放される道筋を科学的・経験的に示している。

 では、トラウマ等の発生、そこから解放される道筋について、ポリヴェーガル理論はどのように説明しているのか。私がビッグイシューの記事から読み取ったことを、以下にまとめてみる。

 

(1)トラウマ等の発生

 闘うことも逃げることもできないような、突然の災害、事故、事件などに遭遇し、生命の危機等に直面したとき、古い副交感神経(第1の自律神経)が心身の動きをシャットダウンし、自ら”凍りつく”という防衛反応を起こす。”凍りつき”は、生命の危機を乗り切ったり、ダメージを小さくしたりするための手段なのだ。

 ”凍りつき”が起こり、とりあえず、危機的状況を乗り切ったということは、自分の神経系や身体が正常に機能した証とも言える。この時点では、「よくやった!」と自分の神経系や身体を褒めてあげたい。

 ところが、これがトラウマ等の形成の出発点ともなる。なぜなら、大自然の中で生きる動物は”凍りつき”から自然に抜け出すことができるのだが、複雑な神経系を発達させ、大自然から離れて生活している人間は”凍りつき”から抜け出しにくいからだ。”凍りつき”から抜け出せていない状態。これがトラウマ等の状態だという。

 

(2)トラウマ等から解放される道筋

 ”凍りつき”から抜け出せなくなっている人は、神経が警戒状態になっている。そのため、不安を感じると、それが増幅されて、”闘争や逃走”、”凍りつき”といった反応を起こしやすい。トラウマ等から解放されるためには、神経の警戒状態を解除することが大切となる。

 そのためには第3の自律神経(新しい副交感神経)に心地よい刺激を与えることが効果的だという。第3の自律神経は、”凍りつき”に関わる古い交感神経(第1の自律神経)と”闘争や逃走”に関わる交感神経(第2の自律神経)の働きを調整する”指揮者”の役割を果たしており、”安全を感じている時”にだけうまく働くからだ。

 身体に心地よい刺激を与えること、”安全である”感覚を味わうことで、第3の自律神経がうまく働くようになり、神経の警戒状態を解くことになる。こうした積み重ねがトラウマ等から解放につながる。

 神経はとても柔軟で、新しい刺激を加えることによってシナプスを組み変えていく可塑性を持っているという。

 

 以上のような理論を取り入れて適切な対処をすれば、トラウマ等から解放されたり、生きづらさから解放されたりする道が開けるだろうと私は感じたのである。(おわり)

トラウマ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、生きづらさから解放されるためのセルフケア 前編

 

 ビッグイシュー2022年3月15日号に興味深い記事が掲載されていた。トラウマセラピスト・花丘ちぐささんを取材した「哺乳類が持つ、第3の自律神経とは?」という記事。概要は次のようなものだ。

 自律神経は交感神経と副交感神経の2つだと考えられていたが、第3の自律神経が発見された。この発見によって、トラウマやPTSDの発生、人の性格やコミュニケーションについて、より深く理解する学説が生まれた(ポリヴェーガル理論)。この学説により、トラウマやPTSDや何となく生きづらい状態から解放される道筋を見いだすことができる。それだけでなく、性格に関する偏見からも自由になり、人間がお互いを大事にし合うことが増え、真に平和な社会をつくっていく希望ともなる。

 

 第3の自律神経の正体、ポリヴェーガル理論の概要がとても興味深いのだが、まずは、花丘さんが推奨するセルフケアを紹介する。

 ポリヴェーガル理論によると、自分の身体に心地よい刺激を与えたり、他者と交流して「安全である」感覚を味わったりすることで、トラウマやPTSDや生きづらさから解放されるという。

 花丘さんお薦めの自律神経セルフケアは、「散歩」「緑や自然に触れて、新鮮な空気を吸う」「ヨガ」「ダンス」「スポーツ」「思いやりにあふれたコメディを観て笑う」「歌う」「食卓を囲む」。人間から傷つけられた体験がある方は「犬や猫や馬など哺乳類の動物との触れ合い」も大切で、特に、馬は人間を安心させてくれる効果が高いという。

 「別に目新しくないんじゃない?」と思われるかもしれない。ポリヴェーガル理論に私が魅力を感じたのは、トラウマやPTSDの発生とそれからの解放のしくみの説明に希望を見出せることなのだ。(つづく)

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いんやくりお「琉球八景」~平和と文化について考える

琉球八景 MV いんやくりお

www.youtube.com


https://www.youtube.com/watch?v=QRcdOJ2goR0

 スケールの大きさと繊細で優しい感じとを兼ね備えた素晴しい曲だと思う。ひとつひとつの映像も魅力的。社会の中で文化の境目に立つ人々への配慮や平和を願うメッセージにも共感する。

 音楽はいんやくりお(印鑰理央)さん 、ビデオ撮影と動画編集はお母さまが担当とのこと。詞章は徐葆光(じょほうこう)の漢詩。徐葆光は、1719年、冊封副使として琉球を訪れた中国の官僚(『中山伝信録』『奉使琉球詩』など、優れた史料と漢詩を残した人物)。
 制作のきっかけは、映画「徐葆光が見た琉球冊封琉球~」(日中国交正常化40周年記念映画)を観たことだそうだ。

 中世から近世にかけて東アジアの国々は穏やかで安定し、お互いが敬意をもって交流していた。「守礼の邦」と称された琉球は、武力ではなく礼節と徳を大切にして外交を行い、芸能を用いて来賓をもてなしていた。
 徐葆光(じょほうこう)が、冊封副使として琉球を訪れた1719年は、琉球も中国も日本も安定した時代に入っていた。平和と安定からは、 文化が花開く。
 琉球文化に感嘆した徐葆光は、滞在する約8カ月の間に琉球のすべてを描き写そうと、細部に至る記録書と漢詩集を書き綴っていった。そこには心と心で結ばれた命をかけた人間の交流があった。徐葆光が琉球を描いた漢詩は、のちに葛飾北斎に『琉球八景』という版画を作らせるなど文化的な影響を広く与えたという。

 中国への敵対意識を煽る動向があるが、今年は日中国交正常化50周年。

(参考)

徐葆光が見た琉球冊封琉球
300年前の幻の書が、東洋の宝石、美徳と不老の憧憬の邦を描く!
http://johoko.jp/

映画「徐葆光が見た琉球冊封琉球~」
日中国交正常化40周年・沖縄本土復帰40周年企画
文部科学省選定
https://www.iw-eizo.co.jp/sell/society/12/so_12_johoukougamitaryukyu.html

『徐葆光が見た琉球』予告(2014年)

www.youtube.com


https://www.youtube.com/watch?v=MUmX32dOC-I


人権としてインターネットが無料で利用できる社会

Zoom等インターネットを利用して、概ね16~20才の若者に「在宅学習を補完する学びの場」を「無償提供」できないかと、さまざまなことを調べたり、学んだり、思索したりしている。

私が個人的に「無償提供」を強く意識しているのは、これまでの人生で得た知識と経験から、学習塾や趣味的習い事などは別として、人間として生きるために必要な学びに私的金銭負担が生じることに違和感があるからだ。その負担額が大きくなれば経済的不平等に直結する問題にもなる。

思い至ったのがZoom等インターネット環境が整備されていなければ「無償」提供サービスも利用できない問題点。とりあえず、現時点では、その問題には目をつぶるしかないだろう。しかし、パーソナルコンピューターであれ、スマートフォンであれ、インターネットを暮らしに位置づけることを前提にする社会ならば、本来は、それを誰もが平等に利用できる権利を保障する必要があるだろう。

かつて本で読んだスペインのマリナレーダ村のことを思い出した。住宅、保育園、文化施設など、人権保障に関わるものが、村人に無料もしくは低価格で提供されているという事例だ。例えば、建設に参加すれば、立派な一戸建ての家を建ててもらうことができ、月額15ユーロ(当時の為替相場で2250円程度)で住むことができる。自宅でのインターネット利用も住民の権利として無料だと書かれていた(工藤律子『雇用なしで生きる~スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』2016)。
https://www.iwanami.co.jp/book/b262554.html

尚、高校も大学も無償であることが世界的な潮流である。

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(参考)

世界人権宣言(1948年に国連で採択)の実効性を高めるため、
1966年、多国間条約として国際人権規約が国連で採択された(1976年発効)。
この国連人権規約の社会権規約第13条には教育についての権利が記されており、
中等教育(中学・高校)と高等教育(大学等)について、
段階的に無償化して、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること、と明記されている。

しかし、日本政府は、1979年、国連人権規約・社会権規約を批准したものの、
この条項(中等教育と高等教育の無償教育の漸進的導入)については留保を付した
(つまり、中等教育と高等教育の無償教育の漸進的導入については受け入れないと表明)。


2008年、この条項を留保していたルワンダがこれを撤回。
2009年、当時、社会権規約批准国160か国中、
この条項を留保しているのはマダガスカルと日本のみとなった。

こうした中、
2010年、高校について、いわゆる「高校無償化法」が成立、施行。
2012年、日本政府は、高校・大学の段階的無償化の留保撤回を国連に通告した。

(メモ)
読んでみたいと思う本:
三輪 定宣 『無償教育と国際人権規約―未来をひらく人類史の潮流』 2018
https://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E5%84%9F%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%A8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E8%A6%8F%E7%B4%84%E2%80%95%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%82%92%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%8F%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%BD%AE%E6%B5%81-%E4%B8%89%E8%BC%AA-%E5%AE%9A%E5%AE%A3/dp/4406062653

 

味噌づくり

3月10日といえば、1945年、米軍機が東京大空襲を実行した日。
我が家ではこの日は「味噌づくりの日」。
今年もこの日、今年6回目の味噌づくりを行った。
味噌への感謝の気持ちを込めて丹念に味噌を仕込んだ。

我が家では、ほぼ毎食、味噌汁を頂く。
そして、その度に「幸せ~」とつぶやく。
味噌は幸せの源。感謝、感謝の食材なのだ。

自宅で味噌をつくるようになって今年は5年目。
1年目、2年目は購入した材料で味噌づくり。
信州に移り住んで自給農を始めた3年目には自分たちが栽培した大豆での味噌づくりを開始。
4年目の昨年は鍋帽子を使っての省エネルギー味噌づくりを開始。
そして、今年は、自分たちで起こした米麹を使っての味噌づくりも始めた。
味噌づくりも少しずつ進歩している。
今年は11回味噌づくりを行う予定だ。

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お椀に味噌と太陽熱食材乾燥器(ソーラーフードドライヤー)で作った乾燥食材(写真は菊芋とエノキ)を入れて、湯または大豆煮汁等を注ぐだけ。この上なく美味しい。味噌を煮詰めないから酵素が元気なのではないだろうか。

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●●に該当する語句

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 ●●を起こして利益を得たい存在があり、そのために●●が起こされる。●●の本質は、国と国とか、国々と国々とかの対立なのではない。

 多くの庶民は情報操作その他により真実を知らされず、あるいは、真実から目をそらされて、正義のために、祖国を守るために●●しなくてはならないと思い込まされる。

 ●●で利益を得る1%が99%の庶民から搾取するためのしかけが●●。だから、本来ならば1%VS99%という構図なのに、国(国々)VS国(国々)だと多くの人々が勘違いさせられる。

 本当に対立する要素があるならば、●●などせず、交渉・対話により解決すればいい。結局、●●中や●●後、対話して解決することになるのだから。

歴史は同じことを繰り返している。

と、私は思う。

11年目の「3.11.」~世界中すべての人々の生きることに向き合うこと

日本で暮らしている人々にとっての切実な社会問題だった原子力発電所

2011年、私にとって、友人・知人はじめ福島県周辺で暮らす人々の具体的重大問題になった。しかし、その頃、私はあまりにも無知だった。

2015年、自分が甲状腺ガンを発症し、映画「小さき声のカノン 」を見たことを契機に、原発放射能について詳しく学び、福島県周辺で暮らす人々だけではなく、まさに自分事であることにようやく気づいた。

「3.11」で被害や影響を受けた人々のことに向き合うことは、世界中すべての人々の生きることに向き合うことだと思う。

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・映画「小さき声のカノン −選択する人々」2015年
http://kamanaka.com/works/works-movie/works-theater/7056/

2019.3.11.
・「3.11」と原発事故
https://kasikorera2017.hatenablog.com/entry/2019/03/11/232702


2021.3.11.
・真実を知ること、自由に表現し行動すること~3月11日に忌野清志郎の楽曲を聴く ~
https://kasikorera2017.hatenablog.com/entry/2021/03/10/224521






生きるための学び合いの場づくり

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理由はさまざまだろうが、高校に行きたくてもいけない、行きたくないという若者は今でもたくさんいるようだ。そんな若者がこれからもっと増えていくかもしれない。
高校には通ってるけれど、将来自分がどうやって生きていくのか、生きていくことへの不安が解消できない、高校卒業後に進学や就職したくても思うようにならない、大学など上級学校に進学したけど....という若者も増えるかもしれない。
今、子どもたちが生き生きと学べる小学校・中学校をつくろうという機運が高まっている。それはとてもいいことだ。
しかし、学校設立となるとそれなりのハードルがあるからどんどん設立できるわけではないだろう。そのような学校には転居しないと通えないなどの問題がある。そして、学費負担の問題もある。その結果、経済的にゆとりがある一部の人しか恩恵にあずかれない傾向も生じるだろう。
そこで、私が今注目しているのが「在宅での学び」だ。
在宅だけ、家庭内だけでは限界があるから、「地域での学びの場」とつながる必要がある。そして、それを補完するためには、高校生以上なら「オンラインでの学びの場」が、暫定的にあってもいいだろうと思う。
「ホームスクーリング」、「ホームエデュケーション」という用語がある。「在宅での学び」だけではなく、「地域での学び」「(暫定的な)オンラインでの学び」等も包摂した概念としてとらえることが大切なように考えている。
私が今、考えているのは、目安として16歳~20歳の若者を対象にした無料で提供できる「オンラインでの学びの場」あるいは「オンラインでの学びの場の入り口」「ホームエデュケーションの入り口」をつくること。
自分の興味関心や才能(GIFT)を磨くには、金銭の支払い、労働力の提供、物々交換等が必要になるかもしれない。しかし、自分の興味関心や才能を見出すきっかけづくり、興味関心や才能を磨くためにはどうすればいいかについての助言等を無料で提供する方策について検討している。
大きなことをしたいとは思っていない。自分には大したことはできないと思っている。小さな小さなことでいい。小さな小さなことがいいと思っている。自分にできることがあるとすれば、小さな小さな芽を出すこと。それが何かにつながることもあるだろう。
食料の自給さえままならず、最低限の現金収入を得る道も模索中の私。自己の生活の構築にじっくり取り組まなければならないのだが、若者のための「生きるための学び合いの場づくり」のことが気になる自分がいる。
「なぜ、そんなことが気になるのか?」「移住前の計画通り、生活構築ができた後にやればいいんじゃないの?」と敢えて自分を突き放して考えてみる。でも、やはり気になるのだ。
今、ひとつの考えがまとまりつつある。

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健康と環境を破壊する法案に対する市民運動の先頭に立つブラジル音楽第一人者・カエタノ・ベローゾ

※ 本日2022年3月1日10:30の印鑰 智哉さんのFB投稿記事を自分なりに要約してみました。
https://www.facebook.com/InyakuTomoya/posts/6266291560064288

 世界の注目を集めているウクライナの危機。一方で、生命を危険に陥れる紛争が世界各地で続いている。戦争で巨大化した化学企業のさらなる利益追求のため生命が犠牲にされそうになっているのだ。

 ブラジルでは、ボルソナロ大統領率いる極右政権誕生後の3年間に農薬の規制緩和がすすめられ、1589の農薬が承認されたのだが、先日、「毒のパッケージ法案」とよばれる法案が多くの反対の声を押し切って下院を通過した。「毒のパッケージ法案」とは、農薬を規制する権限を環境省や保健省下の機関から奪い、環境や健康面での配慮を不可能にする法案だ。
 この法案成立をめざす中心的議員の一人が日系人のルイス・ニシモリ議員だが、彼を経済的に支えているのが丸紅や三井だという告発の声が上がっている。つまり、ブラジルに毒を撒く背後に日本企業の存在があるのだ。

 ブラジルではこの「毒のパッケージ法案」だけでなく、アマゾン森林の最後の砦となっている先住民族の土地での開発を可能にする法案など、自然と人びとの権利を破壊する多くの法案が国会にかけられようとしている。今年末の大統領選では現大統領ボルソナロは敗北が必至なので、今のうちに悪法を作っておこうということらしい。

 しかし、ブラジルの市民社会は黙っていない。上院にかけられる「毒のパッケージ法案」をはじめ、一連の環境抹殺法案に対する反対行動がよびかけられている。そして、その先頭にいるのがカエタノ・ベローゾというブラジル音楽の第一人者だ。

 ウクライナの戦争にも、ブラジルでの先住民族や小農、自然に対する戦争に対しても即刻ノーの声を上げたい。戦争で利益を得る企業を許してはいけない。

 

www.youtube.com

世界から戦争を失くす方法 ~音楽家カザルスの体験と主張

 音楽家パブロ・カザルス(1876-1973:スペイン・カタルーニャ生まれ)にまつわるエピソードを紹介する。

 カザルスの弟・エンリケ宛てにスペイン陸軍から召集令状が来た時のこと。エンリケの母・ピラールはエンリケに言った。

「お前は誰も殺すことはありません。誰もお前を殺してはならないのです。人は殺したり、殺されたりするために生まれてきたのではありません。行きなさい。この国から離れなさい。」

 エンリケはアルゼンチンに脱出。18年間亡命生活をした。
 エンリケを戦争に行かせなかった母について、カザルスは次のように述べている。

「母は息子の命を救おうとしたのではない。間違ったことはしない、正しいと思ったことをする、という原則を守っただけなのだ。母はいつもこう言っていた。特定の法律はある人たちを守りはするけれど、他の人々には危害を与えることもある。法律ですら、善悪の判断は自分でしなければならないと…。もし、世界中の母親が息子に向かって、私の母と同じことをしたなら、世界から戦争はなくなるだろう。」
 
 そう単純ではないかもしれない。しかし、平和と戦争について深く考える1つの契機になるエピソードだと思う。

「なぜ、人は戦争に行くのだろうか?」
「戦争は起こるのではなく、起こされるというが、だれが戦争を起こすのか?」
「戦争で得をする人たちがいるというが、どのような人たちが得をするのか?」
※ここで紹介したエピソードはTV番組「知ってるつもり・パブロ・カザルス」で放映されたもの。カザルスやピラールの言葉は番組の字幕を起こしたものである。文献にもとづいて番組は制作されていると思っているが、文献での確認は私は行っていない。

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