カシコレラ

高校教員を早期退職。「人生は実験だ」を合言葉に妻と信州に移住。 農・DIY・お金稼ぎの経験皆無の凡人が自給的暮らしを探求中。気ままにあれやこれや投稿。ひととひと、農と環境と教育をつなぐ「虹色ラボ」、真に持続可能な暮らしと生き方研究所「いっさ」主宰。

岡林立哉さんの馬頭琴とホーミーの野外ライブ@読書の森

ユニークな茶房、「読書の森」で行われた馬頭琴とホーミーの野外ライブに行った。 演奏と歌は日本でのその分野の第一人者である岡林立哉さん。

緑に囲まれた気持ちのいい木陰で体感する岡林さんの歌と演奏は最高! 吹き抜ける風、ホーミーと張り合うように鳴くセミの声も心地良かった。

しかし、何といっても岡林さんの人柄が表れた歌と演奏と話が素晴しく、 身も心も浄化された気分だった。  

第2部で岡林さんと対談した安曇野在住のモンゴル出身の画家テムさんの人柄と話も素晴しく最高の時間を過ごすことができた。

このような素敵な企画・運営をして下さった読書の森の依田さんにも感謝!  


さて、馬頭琴と言えば、モンゴル民話『スーホの白い馬』。 そして、遊牧民生活体験、満天の星空眺望、草原での乗馬などを目的にモンゴル旅を計画したが断念したこと、 その代わりにチュニジアの砂漠にキャンプしに行ったことを思い出した。その話はまた改めて書いてみたいと思う。

 






 (参考)

・ホーミー・皮張りの馬頭琴 vol.1 岡林立哉

www.youtube.com

   

・ホーミー・皮張りの馬頭琴2 岡林立哉

www.youtube.com

  
・岡林立哉 公式HP
http://khoomiiman.info/  

・茶房・読書の森 公式HP
https://kp2y-yd.wixsite.com/gh-dokusyonomori  

茶房・読書の森 facebook 投稿記事
野外で素晴らしい馬頭琴、ホーミーコンサート‼︎
https://www.facebook.com/dokusyonomori/posts/pfbid02SXmuk2fsuCErrhVPGrPvQheqPVUVMwNhptFGs9ps8PXDgNJYsn89GJPZNuTq2FnLl?__cft__[0]=AZVo_X7YzTZWxHyjpFhPGhtV0I58gmw3UdEMEZ_8nmnYe9vyuQwug4Jb4kI74g4hYXDbP8-n0e9aRQKWQLLq1HwXfuorUu48Fbz3EUVp1W219TytgBE5pPABTHE2kK6rOIVZbdT49rgxnuGs0ENIcikLY23jUE6vfrgNDCh9pfo4qqHsNZyWbej7XVNPLq9mkrIW7LAbtHR_Cj752DrAz-uc&__tn__=%2CO%2CP-R

生活百景② ~空・ツバメ 今日の写真より

 台地の上に位置するこの地は空が広い。砂漠や草原には叶わないが。
 私が撮影するこの地の動画をとても喜んで視聴してくれる人生の先輩Nさんがいる。20代後半、ある月刊誌の編集の仕事をしていた頃、編集部の要だった人だ。Nさんは、動画の景観だけでなく、音声にとても関心を持ってくれるのだ。

 空をぐるりと眺望した時、頭上でしきりにツバメが鳴いていた。

「この眺望とツバメの鳴き声、Nさん、きっと喜んでくれるだろうな」
そう思い、ゴミ袋を地面に置いて動画を撮影した。

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ツバメ

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生活百景① ~草・花・木の実 今日の写真より

 早朝、作物たちが気持ちよく生育してくれるようにと畑の手入れ。陽射しが強くなって来たのでひと休み。草花の写真を撮影する。
「きれいだな」、「面白いな」、「いいな」。ついつい気軽にシャッターを切る。
「フィルムの時代ならこんなに写真撮れないよな」といつも思う。

 そして、ゴミ集積場所まで歩く。ゴミはなるべく出さないような生活をしているのでたまにしか行かないのだが、ごみ集積場所までの道は眺めがいい。
 空が広い。空をぐるりと眺望。頭上の電線上でツバメがしきりに鳴いている。ゴミ袋を地面に置き、空とツバメの動画を撮影。

 今朝のひとこまだ。

 「心に刻んでおきたい」、「写真に収めてみたい」と思うものが、日常の生活の中に溢れている。撮影のためにどこかに出かけたりする必要はない。生活の中に、労働、学び、娯楽・趣味、休息などすべてが詰まっている。生活とは生きる活動。

 今日撮影した写真より、まずは草・花・木の実を掲載。

ミニトマト

(タカノツメ)

ラッカセイ

ゲンノショウコ

ツユクサ

(ヒマワリだらけ)



エノコログサアカツメクサ

(クリ)

(育苗中のハクサイ)


(空とツバメにつづく)






8月9日長崎への原爆投下 ~アメリカ軍はなぜ原爆を投下したのか?

 1945年8月9日11時2分、アメリカ軍は長崎に原子爆弾を投下した。8月6日8時15分の広島への投下に続き、2発目の原爆投下。

   *細かくみれば、1945年7月16日、アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠の実験場「トリニティ・サイト」でプルトニウム爆弾の爆発実験(人類史上初の核爆発)を行っているので、3発めの原爆。核爆発による最初の犠牲は大地。

 日本でも、世界的にも、原爆投下というと広島の方が注目されることが多い。4~5年前、アーサー・ビナード編『知らなかった、ぼくらの戦争』という本を読んで、長崎への原爆投下にもっと目を向けた方がいいと思うようになった。2発目の原爆投下について詳細な事実を知ると、アメリカが原爆を投下した理由について深い理解が得られるからだ。


 アメリカ軍が日本に原爆を投下した理由については次のような考えがある。

  ア、戦争をこれ以上長引かせないため
  イ、戦後の国際社会で(特に社会主義国ソ連に対して)優位に立つための核兵器保有の実験のため
  ウ、ウランとプルトニウムという2つの異なる放射性物質の威力や影響を確かめるため(広島に投下された原爆はウラン爆弾、長崎に投下された原爆はプルトニウム爆弾)


 アメリカでは 原爆投下の理由として、アが広く語られているそうだが、長崎に投下されたプルトニウム型爆弾の投下実験用の模擬爆弾である「パンプキン爆弾」に関連する事実を知ると、アではなく、イ、ウ、つまり「核実験のため」というのが事実だろうと考えるようになる。

 戦争を長引かせないためだけならば2発目の原爆投下は不要だと考える人も多いだろう。原爆を使い果たした後の「パンプキン爆弾」投下は、プルトニウム爆弾投下実験、つまり核兵器の投下実験に他ならない。また、プルトニウム爆弾の方が威力があり、現在の核兵器の主流がプルトニウム型であることを考えると、プルトニウム爆弾を投下する「実験」(つまり2発目の原爆投下)はアメリカ軍にとって必須のことであったと考えるのが自然であろう。

 「パンプキン爆弾」は、1945年7月20日以降、プルトニウム爆弾の投下実験のため、極秘任務として、日本の30都市49発投下されたのだが、すでに原爆を使い果たした8月9日以降も「パンプキン爆弾」は投下されているのだ(最後の投下は8月14日)。

 原爆投下を正当化したい立場の人々は、長崎の原爆投下に注目して欲しくないだろう。

 尚、裏付けとなる文献調査を私自身は行っていないが、1993年、ネバダ核実験場を管轄している米国エネルギー省ネバダ事務所の刊行物において、広島、長崎への原爆投下が「核実験」として記載されていることが明らかになっているという。

 

(参考)関連年表

1945年7月までに、アメリカはウラン爆弾1個とプルトニウム爆弾2個を開発。
 *プルトニウム爆弾は構造が複雑なため丸々とした形状になり投下等の実験が必要だった。
 *ウラン爆弾は広島に、プルトニウム爆弾は砂漠の実験場と長崎に投下された。

1945.7.16. アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠の実験場「トリニティ・サイト」でプルトニウム爆弾の爆発実験。
 *人類史上初の核爆発

1945.7.20. パンプキン爆弾(プルトニウム爆弾投下実験用の爆弾)投下開始
 *極秘任務として1945年8月14日まで30都市に49発投下された。

1945.7.26. ポツダム宣言

1945.8.6. 広島にウラン爆弾投下
 *35万人の広島市民のうち、約14万人が1945年12月までに死亡。爆発力1万6000トン。

1945.8.9.  長崎にプルトニウム爆弾投下
 *24万人の長崎市民のうち、約14万9000人が死亡。爆発力2万1000トン。

1945.8.14. 最後のパンプキン爆弾投下

 

【参考文献】
① 小川幸司「トリニティからチェルノブイリとフクシマへ」(『世界史との対話(下)』地歴社、2012)
② アーサー・ビナード編『知らなかった、ぼくらの戦争』小学館、2017

 

有機断熱小屋の礎石(大)を探して運んだ


 建設準備をすすめている我が家の有機断熱小屋「エセンサ・ドーモ」(仮称)。
基礎は日本の伝統工法である敷土台。下の図(敷土台伏図)のように、礎石(大)6個(赤いマル印)、礎石(小)14個の上に土台となる木を横たえ、その上に柱を建て、足固めで安定させる方式だ。


 今日はその際使用する礎石(大)を譲って下さる近所の方の敷地から適切な石を探し出して運ぶ作業を行った。

 朝5時、ハチや蛇に備えて完全防備で石が埋もれてしまっている敷地の草刈りを一人で開始。ブタクサやクズなど刈った草を片付け終わったのが6時半過ぎ。

 8時、日本の伝統建築の設計・施工を仕事としている建築士のTさんと一緒に続きの作業を開始した。





 礎石(大)は小屋の建設予定地に降ろした。礎石(小)と礎石を支えるグリ石や敷地に敷き詰める予定の石は、隣接する畑・ラボ1から私が掘り出した石を使う予定だ。











ハチ・ヒマワリ・キュウリ ~ハチがいなければ人間は十分な作物を得ることができない

 ミツバチは花から花へと飛び回り、蜜や花粉を集める。
 蜜は口吻(ストローのような口)で吸い、体内の蜜胃(一時的に蜜を貯める場所)に貯めて巣に持ち帰り、巣の中で働くミツバチに口移しで渡したり、巣房へ移し変えたりするそうだ。
 ミツバチが花の蜜を吸っている間に、頭部から腹部に生えている無数の毛に花粉が自然に付着する。ミツバチの体に付着した花粉は、飛んでいる間に後ろ足にある花粉カゴという部分に丸められ(花粉団子)、巣に持ち帰られ、巣房に蓄えられて保存食になるのだそうだ。
 
 一方、ミツバチなどのハチは、蜜や花粉を集めるために花から花へと渡りまわっている間に受粉を行っている。カボチャやズッキーニやキュウリなど世界の作物の1/3はミツバチなどのハチが受粉している。つまり、ハチがいなければ人間は十分な作物を得ることができないのだ。

キュウリとハチ(キュウリの蜜と花粉を運びキュウリの受粉をするハチ)

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 ところが、ミツバチが世界中で姿を消している。日本でも各地でミツバチの大量死などの異変が見られている。
 さまざまな原因が考えられるが、ネオニコチノイド系の農薬(神経毒性・浸透性がある薬剤)も大きな原因だと考えられている。農薬だけでなく、さまざまな殺虫剤、駆除剤にネオニコチノイド系の薬剤が使われている。
 とても大切な役割を果たしてくれているミツバチなどのハチに対して、農薬、殺虫剤、駆除剤を使用することによって、多くの人は知らず知らずのうちに、致命的な打撃を与えている。

 ミツバチなどのハチに少しでも安住の地を作りたいと思い、ヒマワリなどの花を咲かせるように心がけている。そして、ささやかながら、ヒマワリの種を播く和を広げてもいる。ヒマワリだけでなく、ハチが活動する時期全体に花が絶えないような環境をつくりたいと思う。



 


(参考)
・ミツバチの体のつくり
https://www.kawai-land.com/inpaku/beeroom03/beeroom03c.html



最近の写真より ~至福の時間

 早朝の畑の見回りの後、作物や植物や生物などをゆったり眺めたり、撮影したりするとき、幸せを感じる。

(自宅庭の梅の実。4年目にして初収穫。梅干しにするために土用干し)

(ようやくキュウリが育ってきた。ひまわりもどんどん咲き始めた。)


(捨てた種から自生したカボチャがぐんぐん育って防風ネットをよじ登り果実を付けた。逆立ち状態のカボチャの果実に登った可愛らしい子どもアマガエルが愉快そうにこちらを見ていた。)

ツユクサとアマガエル。見つめ合うふたり。)

(栗の木の下のバケツの中のおたまじゃくし。動画を掲載できないのが残念。)


(本来なら高さ2mほどに成長するオクラ。ここでは高さ50cmほどにしかならないが、花で目を楽しませてくれ、貴重な食材を提供してくれる。)

太陽熱温水器の下で発芽した自生カボチャ。いつも間にか、太陽熱温水器のフレームとひまわりをよじ登り、可愛らしい果実をつけていた。)

 












「花はどこへ行った」⑤(番外編)~日本のアーティストによるカバー


 デューク・エイセス、中原美紗緒、牧秀夫とロス・フラミンゴス梓みちよ雪村いづみ、園まり、ザ・ピーナッツ倍賞千恵子加藤登紀子フォーク・クルセダーズ、ザ・リガニーズ、Yellow Magic Orchestra、modern grey、Mr.Children、The Water Of Life、忌野清志郎等、MISIAなど数多くのアーティストによりカバーされている(ウィキペディアより)。視聴したものの中から印象に残ったものを紹介する。

 

◆ Yellow Magic Orchestra (YMO) - Where Have All The Flowers Gone (Acoustic Version)

 *全くテクノではないところが却って過激。原詞そのまま歌っていることに誠実さを感じる。ウィキペディアには次のような記述がある。

「1980年4月、雑誌写楽主催のコンサートにおいてカバー演奏している。しかし、テクノポップ調への編曲・アレンジなど行わず原曲・原詩に忠実なフォーク調でのカバーとなった(同コンサートでは他のYMO楽曲もフォーク調で演奏しており、テクノポップでのコンサートを期待していた観客から野次が飛んだ)。このコンサートは事前に録音しておいた楽曲を流し、ステージ上でのメンバーは当て振りであった。」

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◆ 加藤登紀子 - 花はどこへ行ったWhere have all the flowers gone?(ライブ 英詞と日本語詞の字幕)

*原詞に忠実に加藤登紀子が訳した日本語詞

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◆ 忌野清志郎佐野元春 - 花はどこへ行った ~トランジスタラジオ(ライブ)2003年

忌野清志郎流の意訳

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(おわり)

「花はどこへ行った」④ ~訴えるもの、感じとるもの

 

 数多くの音源やライブ映像を視聴して気づいたのは、当然のことなのだが、反戦を訴える同じ曲と言えども、歌手、演奏者、時代、具体的状況などにより、訴えかけたいもの、無意識に伝えてしまうものは異なるだろうということ。戦時の苦しさや悲惨さ、酷い状況への怒り、きっと状況を変えられるという希望、いつまでたっても状況を変えられない虚しさなどなど。また、受け手の思想、置かれている状況、性格などによって感じ取るものも微妙に異なるかもしれない。

 クロノス・カルテットの「花はどこへ行った」を改めて聴いてみた。その音色、響き、トーン、テンポ、曲調から私に伝わってきたのは「戦争は愚かなことでしかないことに気づいて戦争を止めさせよう」というメッセージではなかった。「戦争は愚かしいことだと知りながら、戦争や戦争につながる事項を容認したり、それに加担する行為をしてしまったりするのはなぜだろう?同じことを繰り返さないために、その心理やカラクリに目を向けて学ぼう」という、静かだが真摯な訴えだった。
 戦争をしたい人たちは確実に存在する。しかし、実はそのような人たちは少数派だ。大多数の人は本来は戦争を望んでいないにもかかわらず、戦争をしたい人たちやシステムに騙されてしまう。私はそう考える。

◆ クロノス・カルテット「花はどこへ行った」
Kronos Quartet - "Where Have All The Flowers Gone?" [Official Audio]2020年
( featuring Lee Knight, Sam Amidon, Aoife O’Donovan and Brian Carpenter)

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 アルバム紹介文に、松村洋さんは次のように書いていた。

「ロシアのウクライナ侵攻以降、日本では防衛費増額を叫ぶ声が大きくなった。クロノスの優しい演奏に包まれて、『いつになれば人々は学ぶのだろう?』という歌詞が切なく響く。ピートは、人々の覚醒を信じていたかもしれない。だが、たぶん人間は戦争をやめようとしない。いつまでも学ばない人間の愚かさを、しっかり見据えることこそ平和への第一歩ではないか。」


(つづく)

 

「花はどこへ行った」③ ~反戦歌としての知名度が高まるまで

 1962年。背景にベトナム戦争があったのだろう。ピーター・ポール&マリー、そして、マレーネ・ディートリッヒが、「花はどこへ行った」をカバーし、ヒットさせた。以降、反戦歌として広く親しまれるようになった。

 次のライブ映像はピーター・ポール&マリーの25周年記念コンサートのもの。3人の表現力、ハーモニー、そして、観客との掛け合いがとても魅力的だ。

◆ Peter, Paul and Mary - Where Have All the Flowers Gone (25th Anniversary Concert)1986年

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 反戦歌として知名度が高まるまでの歴史を簡単にまとめておく(注1)。

・ 1955年、既成作品を元にピート・シーガーが制作。ただし、この時点では第3節まで。
・ 1960年、フォーク歌手ジョー・ヒッカーソンが第4節と第5節を書き加え、1961年、ピート・シーガーとジョー・ヒッカーソンの共作として著作権再登録。
・ 1961年、キングストン・トリオが録音・発表し、1962年にヒットした(背景にベトナム戦争)。
・ 1962年、ピーター・ポール&マリーがカバーし、ヒット。以降、同曲は反戦歌として広く親しまれ
るようになる。
・1962年、マレーネ・ディートリッヒが英語、ドイツ語、フランス語のカバー(編曲バート・バカラック)を発表。彼女が歌ったのでこの歌が有名になったと、1968年、スウェーデンでのライブでピートは語っている(注2)。

 

 末尾に関連する音源のリンク先を掲載するが、印象に残った音楽映像を紹介したい。

◆ Mary Travers & The Kingston Trio - Where Have All The Flowers Gone
* ピーター・ポール&マリーのマリーとキングストン・トリオの共演(The Kingston Trio & Friends Reunion Concert - 1982.より)

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 ◆ Marlene Dietrich: Where Have All the Flowers Gone? (Live TV, 1963)
 * マレーネ・ディートリッヒの1963年のライブ映像。英語歌唱。

www.youtube.com

◆ JOAN BAEZ: Where Have All the Flowers Gone with brass & piano. Beautiful version!
 * 歌唱、ギター、管楽器、ピアノの絡み合い、そして、映像が印象的。ドイツ語で歌っている。

https://www.youtube.com/watch?v=TwLWB7aA47w

www.youtube.com

 

(参考)反戦歌として知名度が高まるまでの歴史に関連する音源

・The kingston trio - Where have all the flowers gone -The kingston trio(lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=bI3QVsW30j0

・ピーター・ポール&マリー(PPM)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)
https://www.youtube.com/watch?v=bOTCa1F3F0c

・Marlene Dietrich - Where Have All the Flowers Gone? 英語
https://www.youtube.com/watch?v=-9t7LbNpQcE

・Marlene Dietrich - Sag Mir Wo Die Blumen Sind ドイツ語
https://www.youtube.com/watch?v=YIoF-Q6yGpk

・Marlene Dietrich - Ou vont les fleurs フランス語
https://www.youtube.com/watch?v=cYz1aMtJwK8

 

注1:(好ましくないが)参考にしたのはウィキペディアの記述。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%B8%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%9F
注2:PETE SEEGER ⑪ Where Have All The Flowers Gone (Live in Sweden 1968)
https://www.youtube.com/watch?v=PS3-lyqCl80