カシコレラ

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美空ひばり「一本の鉛筆」~原爆投下について思うこと

美空ひばり - 一本の鉛筆(1988年 第15回広島平和音楽祭にて)

https://www.youtube.com/watch?v=azZwycOOIC4

 * 歌詞 一本の鉛筆
https://www.uta-net.com/song/40972/

美空ひばりは、1974年、第1回広島平和音楽祭に出演して、この「一本の鉛筆」を歌った。
彼女は、「世界に平和を発信したい」という広島テレビ放送の企画に賛同して音楽祭への出演を快諾したのだった。「一本の鉛筆」は、この時のために書き下ろされた曲だ(作詞:松山善三、作曲:佐藤勝)。

【参考資料】
◆「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」と美空ひばりが歌った反戦と平和の歌(TAP the POP 2020.8.6.佐藤剛 より)
http://www.tapthepop.net/day/13548

反戦と平和のこの曲の詳細については上記の記事を参照していただくこととして、8月6日、8月9日を前に、原爆投下に関して、私が思うことを書き記しておきたい。

① 8月9日がもっと注目されるべき

原爆投下というと、多くの人が真っ先に1945年8月6日の広島原爆投下を想起すると思う。しかし、原爆の世界史的な意味、アメリカが原爆を投下した理由、原爆の威力等の観点から、8月9日の長崎原爆投下がもっと注目されるべきだと思う。

 * 現在の核兵器の主流は広島に投下されたウラン爆弾ではなく、長崎に投下されたプルトニウム爆弾であり、プルトニウム爆弾を実用化するためには投下実験が不可欠だった。

 * 戦後世界で(特に社会主義国ソ連に対して)優位に立つために核兵器保有したかったアメリカは、プルトニウム型原爆を実用化する必要があった。そのために、日本にパンプキン爆弾(プルトニウム型原爆の模擬爆弾)と原爆を投下した。

 * パンプキン爆弾は、30都市に49発、1945年8月14日まで(8月9日以降も)投下された。

② 最初の被曝は「大地」(7月16日)

ガイア理論(地球をある種の「巨大な生命体」と見做す理論)等の視点を踏まえれば、広島原爆投下以前に、まず「大地」が被曝したことを銘記する必要があると思う。

 * 1945年7月16日、アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠の実験場「トリニティ・サイト」で原爆(長崎に投下されたタイプのプルトニウム型原爆)の爆発実験が行われた。これが人類史上初の核爆発となった。

【参考文献】
① アーサー・ビナード編『知らなかった、ぼくらの戦争』小学館、2017
② 小川幸司「トリニティからチェルノブイリとフクシマへ」(『世界史との対話(下)』地歴社、2012)

◆ 資料1 原爆投下に関する年表(上記参考文献①②より作成)
1945年7月までにアメリカはウラン爆弾1個とプルトニウム爆弾2個を開発。
 * プルトニウム爆弾は構造が複雑なため投下リハーサルが必要だった。
1945.7.16. アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠の実験場「トリニティ・サイト」でプルトニウム爆弾の爆発実験。
 * これが人類史上初の核爆発。大地が被曝。
1945.7.20. パンプキン爆弾(=プルトニウム爆弾投下のリハーサル用の爆弾)投下開始。
 * 1945年8月14日まで30都市に49発投下された。
1945.7.26. ポツダム宣言
1945.8.6. 広島にウラン爆弾投下
 * 35万人の広島市民のうち、約14万人が1945年12月までに死亡。爆発力1万6000トン。
* 熱線や爆風による死の他に、放射線による「急性障害」の死。
1945.8.9.  長崎にプルトニウム爆弾投下
 * 24万人の長崎市民のうち、約14万9000人が死亡。爆発力2万1000トン。
1945.8.14. 最後のパンプキン爆弾投下

◆ 資料2 パンプキン爆弾(1万ポンド軽筒爆弾)
~長崎型原爆ファットマン投下リハーサル用模擬爆弾
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-843.html?sp

 * WEB上のこの資料には参考文献が示されていない。したがって、この資料は信用に値しない。しかし、パンプキン爆弾について書かれていることは、私が記憶している限り、上記参考文献②に示されていたことと一致していると思うので、資料として使用させていただいた。