1945年8月9日11時2分、アメリカ軍は長崎に原子爆弾を投下した。
8月6日8時15分の広島への投下に続き2発目の原子爆弾投下。
日本でも、世界的にも、原爆投下というと広島の方が注目されることが多い。
ところが、2年前、アーサー・ビナード編『知らなかった、ぼくらの戦争』(小学館、2017年)を読んで、長崎への原爆投下に注目するとアメリカがなぜ原爆を投下したのかについてより深い理解が得られることを知った。
長崎への原爆投下にもっと注目すべきだと思う。
そして、アーサー・ビナードさんについて調べたり、『知らなかった ぼくらの戦争』を読んでみると様々な興味深い事実を知ることができる。
◆アーサー・ビナード編『知らなかった、ぼくらの戦争』小学館
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388508
◆知ろうとしなかった歴史を知る アーサー・ビナードさん「知らなかった、ぼくらの戦争」2018.05.31「好書好日」
https://book.asahi.com/article/11581841
さて、下記の資料1を参考に以下の問の答えを考えてみよう。
Q1:アメリカは、なぜ、原爆を投下したのか?
Q2:人類史上初めて核爆発が行われた場所はどこ?
Q3:広島に投下された原爆と長崎に投下された原爆、威力が大きかったのは?
Q4:長崎の原爆投下にはどのような意味があったと考えることができるか?
<ヒント>:現在の核兵器の主流はプルトニウム型。
資料1 年表(参考文献①②より作成)
1945年7月までに、アメリカはウラン爆弾1個とプルトニウム爆弾2個を開発。
*プルトニウム爆弾は構造が複雑なため実験が必要だった。
1945.7.16. アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠の実験場「トリニティ・サイト」でプルトニウム爆弾の爆発実験。
*人類史上初の核爆発
1945.7.20. パンプキン爆弾投下開始
1945.7.26. ポツダム宣言
1945.8.6. 広島にウラン爆弾投下
*35万人の広島市民のうち、約14万人が1945年12月までに死亡。爆発力1万6000トン。
*熱線や爆風による死の他に、放射線による「急性障害」の死
1945.8.9. 長崎にプルトニウム爆弾投下
*24万人の長崎市民のうち、約14万9000人が死亡。爆発力2万1000トン。
1945.8.14. 最後のパンプキン爆弾投下
<注> パンプキン爆弾とはプルトニウム爆弾投下実験用の爆弾
【参考文献】
① 小川幸司「トリニティからチェルノブイリとフクシマへ」(『世界史との対話(下)』地歴社、2012)
② アーサー・ビナード編『知らなかった、ぼくらの戦争』小学館、2017