カシコレラ

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チャールズ・アイゼンシュタイン「贈与経済における教育」

【チャールズ・アイゼンシュタイン「贈与経済における教育」】

 マーク・ボイル『無銭経済宣言~お金を使わずに生きる方法』(Mark Boyle The Moneyless Manifesto)にチャールズ・アイゼンシュタインが書いた「贈与経済における教育」という文章が収められている。

 この中で私が心底共感したのは、教育にとって大切な次の2つの視点だ。

 1つは、教育という機能において「相手の無言の要求に耳を傾けて、本人も気づかない関心の芽を見出してあげること」が重要であるという視点。もちろん、教育においては才能を伸ばすことが大切なのだが、それ以前の問題として、自分の興味・関心の芽に気づくことが不可欠だというのが私の考えである。

 もう1つが学びの内容。即興芝居、心の知能、人間のオーラの感知、植物の栽培など、手や心を使う活動全般の才能を伸ばすような内容が重要だというのが彼の考えだ。私がイメージする学びの内容のイメージと通底する。

 以下、彼が考える「今日の経済と学校」「これからの学校のイメージ」についてまとめておく。

〈今日の経済と学校について〉

 現代の経済のしくみでは、ほとんどの人が、安楽や安全や幸福と結びつけて考えられる外的な報酬(お金)を得るために、実はたいして関心のない仕事や、きらいな仕事さえもさせられている。そして、今日の学校制度は、そのような経済のしくみと連動しており、社会や地球を良いものにしていこうという主体となるどころか、危機的な問題を抱えている現状を維持することに加担している。つまり、外的報酬(子ども時代は成績、長じては金銭)と引き換えに、どうでもいい仕事、屈辱的でおもしろくもない仕事をするように調教することが学校の目的になっている。

〈これからの学校のイメージ〉

 「どうやって生計を立てるか」ではなく「自分が世の中に与えることのできる、もっとも得意でもっともやりたい仕事は何か」というのが一番重要な問になるような学校、つまり、贈与経済と連動した学校は、第一に、子どもが自分の才能(GIFT)と関心事を見つける場であり、第二に、その才能を磨いて伸ばす場である。たまたま作文や算数の天分にめぐまれていた場合などは、今日の学校制度でもその才能を伸ばしてもらえるかもしれない。しかし、即興芝居、心の知能、人間のオーラの感知、植物の栽培など、手や心を使う活動全般の才能は、今日の学校では伸ばしてもらえるどころか、抑えつけられてしまうケースが多い。そのような才能は現在の経済社会で安定した地位を得るのにはほとんど役立ってこなかったからである。しかし、社会は変化しつつあり、そうした才能こそが世の中にとって切実に求められている。そのような場はすでに現在の教育制度のなかにも、境界やすきまのようなところ、つまり、オルタナティブスクールや独自路線の教師の実践に多く存在している。贈与にもとづく将来の社会においては、今日のオルタナティブ、独自路線、境界的実践が普通の教育となるだろう。

(参考)
・マーク・ボイル『無銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法』
https://kasikorera2017.hatenablog.com/.../2020/11/17/090409

・Charles Eisenstein
From Wikipedia, the free encyclopedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Eisenstein

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