おおたか静流さんのコンサート以来、「夏は来ぬ」という曲が頭の中をぐるぐるめぐっている。この曲は1896(明治29)年に発表された日本の唱歌。日常では使用しない語句が多用されているので歌詞は難解だが、ことばの響きがとても美しい。
次の2曲がとても印象的だった。明治時代に作られた日本の曲が外国のミュージシャンによって新しい命を吹き込まれているのが新鮮だったし、文化交流について想起させられた。
① Scott & Rivers - 夏は来ぬ [ステテコver.](歌詞字幕あり)
② Tulus - 夏は来ぬ(日本語ヴァージョン)
* Scott & Rivers・・・日本語や日本音楽・文化に関心を持つU.S.A.出身の二人のロック・ミュージシャン。
* Tulus・・・インドネシアで国民的人気を誇るジャズ&ポップス歌手。
1996年、オーストラリア(AU)とニュージーランド(NZ)での研修で、小学校、中学校、高校を訪問したり、ホームステイをしたり、大学寮で生活したりした時のことを思い出した。
当時、両国では日本への関心が高かった。例えば、経済都市シドニー(AU)の先進的学校では日本語教育が盛んに行われており、大学都市パーマストンノース(NZ)では高校生や大学生が夏休みに日本のスキー場でアルバイトすることがちょっとしたステータスになっていた。しかし、それは「日本語ができたら日本人観光客相手のバイトができる、就職に有利」など、経済的関係に根差したものだった。真の友好関係を築くには、経済的な関係だけではなく、文化交流や歴史認識の共有が大切だと感じたものだった。
例えば、日本に植民地統治されたことがある現在の韓国や台湾と日本との関係。韓流ドラマやK-POPが日本の民衆に韓国への親近感を醸成した役割は大きかっただろう。アニメなど日本の文化が台湾の民衆に親日意識をもたらした役割も大きいという。文化交流が、国境や負の歴史を乗り越えて、人と人をつないだ良い例かもしれない。
* ただし、友好関係を揺るぎないものに深めるには歴史認識の共有に至る必要があるというのが私の考えである。
去り行く夏を惜しむ今日この頃。「夏は来ぬ」を聴きながら、とりとめのないことを考えた。