上の写真は我が家の畑の巨大なキュウリ。
収穫せず、タネを取るために残してある。
大きさは長さ45cm、直径12~3cmほど。
このキュウリは、今、子孫を残すべく、タネを完熟させているはずだ。
通常、長さ20cm、直径3cmくらいに成長したキュウリを収穫して、おいしくいただく。
しかし、キュウリは子孫を残すために種を完熟させ、種を落とすことをめざしている。それがキュウリの意志だ。
したがって、タネも十分にできていない、たった20cmの状態でもぎ取られ、食べられてしまうことは、キュウリにとって不本意に違いない。
* 上の写真の状態が本来のキュウリの姿。
ところで、僕がキュウリのタネを採り、来春、タネを播き、キュウリを育てるならば、子孫を残すというキュウリの目標は達成される。
僕は、このキュウリのタネから少なくとも数株のキュウリを育てるだろうから、このキュウリは数株の子孫を残すことができる。子孫を残す確率としては決して悪くないだろう。
このように考えると、タネを採るという行為は、人間が生きていく上で大切な行為であるだけでなく、大げさに言えば、キュウリの意志を尊重し、キュウリの権利を擁護する行為でもある。
棚からぶら下がっている巨大なキュウリを見ながら、ふと、そんなことを思った。
たくさんのキュウリを食べさせてくれたことに感謝して、このキュウリのタネを採り、来春、タネを播こうと思う。