カシコレラ

高校教員を早期退職。「人生は実験だ」を合言葉に妻と信州に移住。 農・DIY・お金稼ぎの経験皆無の凡人が自給的暮らしを探求中。気ままにあれやこれや投稿。ひととひと、農と環境と教育をつなぐ「虹色ラボ」、真に持続可能な暮らしと生き方研究所「いっさ」主宰。

「幸せなら手をたたこう」~戦争とフィリピン~


坂本九 / 幸せなら手をたたこう (1964-5)
Kyu Sakamoto / If You're Happy and You Know It

www.youtube.com


多くの人がその歌詞の一部を知っている「幸せなら手をたたこう」。
生命倫理学のパイオニアとして知られる学者・木村利人さんが作詞した曲だ。
木村さんが、まだ大学院生だった1959年、農村復興ボランティアで訪れたフィリピンで、現地の子どもたちが歌っていたスペイン民謡に歌詞をつけたものなのだそうだ。

この曲には、木村さんの実体験と未来への前向きな思いが秘められている。
下記の参考資料をもとにそのことについて紹介したい。

子どもの頃、疎開や空襲を経験した木村さん。
日本人は戦争被害者だとばかり思っていた。

ところが、木村さんを迎えたフィリピンの村人の表情は殺気立っていた。
「この傷はかつて日本の憲兵に刺された傷だ」
「日本軍は農民の作物を奪い住民を虐殺した」
木村さんに浴びせられた言葉だ。

アジアを解放する正義の戦いだと教わっていた木村さんは日本の加害の事実を初めて知った。
自分の無知を恥じ、罪悪感を覚え、いたたまれず帰国も考えた。
だが、悩んだ末、現地に残る決心をした。

「申し訳ないと心で思っているだけではだめだ。態度で示さなければ」
そう考えた木村さんは、現地の青年たちと寝食を共にしながら、井戸掘り、トイレ作り、校庭整備などの土木作業を行った。

そのうちに村人たちの木村さんに対する態度が好意的になってきた。
焼きバナナ、コーヒー、魚などを差し入れてくれたり、誕生日会に招いてくれたり...

そんなある夜、ボランティア仲間のラルフさんが木村さんに打ち明けた。
「僕の家族は日本兵に殺された。日本軍と日本人が憎くて日本から誰かが来たら殺してやろうと思っていた。だけど、君と一緒に働くうちに考えが変わった。忘れることはできないけれど、許すことはできる。ともに戦争をおこさない社会をつくろう」

村人やラルフは自分たちの思いを態度で示してくれた。
木村さんはそう思った。
この体験をもとに帰国する貨物船の中でつくった曲が「幸せなら手をたたこう」だった。

1970年代後半、木村さんは、学問の枠を超えて命に関わるあらゆる問題を考える「生命倫理」という学問を立ち上げた。
人間の尊厳を守る社会を作ることでフィリピンの人に応えたいとの思いが支えだったという。

(追記)

木村さんの詞は12番まであって、♪「手をたたこう」の部分が変わっていく。
例えば、7番は♪「泣きましょう」、12番は♪「最初から」だ。

・歌詞「幸せならてをたたこう」 作詞:木村利人 / スペイン民謡
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shiawasenara.html


【参考資料】

① 伊藤千尋&さらん「幸せなら手をたたこう」(『週刊金曜日』2021.08.06.(1340号))

②「幸せなら手をたたこう ~坂本九さんが歌った曲の作詞秘話」(東京新聞 WWeb版 2020.8.20.)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/49863

③「幸せなら手をたたこう ~名曲誕生のストーリー」(東京YMCA:会員が語る「私とYMCA」)
https://tokyo.ymca.or.jp/about/interview_kimura.html

※ 尚、①の漫画は次の2つの文献を出典としている。
 ・伊藤千尋『心の歌よ!日本人の「故郷」を求めて』
 ・木村恵子『キーフさん ~ある少年の戦争と平和の物語~〈新版〉』